1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL ハリウッドの新会社(198X年)

 元C/CPと元ABELの人達の新しいCG制作会社の名前は、まだ決まっていなかった。C/CPから来たジム・クリストフ氏が社長になることになった。

 最初、社名はノースライトというにするつもりだった。ノースライトとは、インスピレーションは北(North)からの光(Light)で思いつくという霊感か何かでそういうのがあるらしい。しかし、ノースライトの社名を申請したところ、ノースライト社というのが既に存在して、同じ名前にすれば訴えると言ってきたので、メトロライトという名前になった。

 正式に名前が決まったメトロライトで、E2Dに加えて、もう一つの使命がJCGLから課せられていた。JCGLのレンダラーの売り込みであった。

 メトロライトは、ウェーブ・フロント社のレンダラーを使っていた。これは元々ABEL社のレンダラーだった。もちろんコマンドラインである。アニメーションは、PS/2で作っていた。

 JCGLのレンダラーについて説明しても、なかなか分かってもらえない。日本にそんなに優れたレンダラーがある筈もないとか、遠いのでサポートが不安だとか、ラジオシティができないから(!)、などと色々な否定的な理由をつけられていた。

 そこで、実際にJCGLからレンダラーのソースを送ってもらい、メトロライトのワークステーションで動かしてデモをすることになった。

 しかし、これがコンパイルはできても途中で落ちる。ソースを調べると、何故かstdioのところで落ちていた。