1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン ビデオレコーディング(198X年)

 プラス・ワンにあったお手製の16mmフィルムレコーダのコントローラは、時々コマ撮りを失敗することがあったので、制作部の女性Yさんが1コマ録画する毎に、小型のカウンターを手に持ってチェックしていた。フィルム・レコーディング中は、一晩中張り付いていないといけなかった。

 コマ落ちすると、フィルムを入れ替えて撮り直しなのである。フィルムというのは、化学反応で映像を記録しているので、別のフィルムで同じ画像を記録しても、色味が同じにならない。1コマだけ後で差し替えることはできないのである。フィルム・レコーディングでは徹夜するのが当たり前だった。

 ビデオコントローラのMINIVASは、プログラムからRS232Cで簡単なコマンドを送るだけで、BETACAMをコントロールすることができた。しかもコマ落ちなんてしない。ビデオなので1コマ差し替えても色味は変わらない。

 このMINIVAS1コマレコーディングする毎に「ピッ!」というかなり大きな音を出した。夜通し鳴り続けると大家さんにも迷惑なので、分解してスピーカーの線を切った()

 ビデオレコーディングができるようになると、レコーディングの付き添いで徹夜することはなくなった。ワークステーションRGB信号は、スキャンコンバータでNTSCビデオ信号に変換されるので、レコーディング中は、BETACAMを待機状態にしておいて、1フレームをレンダリングすると、直ちにBETACAMでコマ撮りするのである。画像のセーブもロードも必要なかった。

 ワークステーションの画面に比べて、NTSCの解像度は半分位だったので、ダウンサンプリングの結果、ジャギーが多少ましになった。