1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

プラス・ワン 澤井さんと映画館に(198X年)

澤井さんは、映画大好き人間だった。映画のうんちくも凄かった。話し出すと半日でも映画の話をしていた。 ある土曜日の朝、「映画見に行かへん?」と誘われた。仕事を早めに切り上げて出かけるのかと思っていたら、いつも通り24時まで仕事していた。 今日は…

プラス・ワン みんな地球人(198X年)

NHK名古屋から、プラス・ワンを取材したいと申し入れがあった。カメラマンとレポーターの女性が連日来て、皆で撮影に協力した。 この頃のプラス・ワンはとても楽しかった。朝は10時からのゆっくりスタートだが、夜は終電まで残業か、徹夜するのが当たり前だ…

プラス・ワン 二コグラフ、SIGGRAPH入賞(198X年)

澤井さんや制作部のD君は、実写合成のために、何度もプリレコーディングを繰り返していた。当時のEARTHTECTURE-SUB-Iのレンダリング時間は、わずか5秒だった。 このプリレコーディング映像には、高松伸氏の立ち位置に特別なオブジェクトが仕込んであった。…

プラス・ワン 初のビデオ合成(198X年)

在版のSビデオスタジオとの協力を得て、ブルーバックで高松伸氏を撮影した。ただ固定カメラを置いて撮影するのではなく、カメラのトラック移動のシーン用に、レールにカメラを2台セットして、1台はブルーバックの高松伸氏を、もう一台の小型カメラは、レー…

プラス・ワン EARTHTECURE SUB-I(198X年)

EARTHTECURE SUB-IのCGアニメーションが完成した。しかし、クライアントに見せると、評判は今ひとつだったようだ。 澤井さんの作品は、入口から階段を降りて行きながら、上を見たり下を見たりするアニメーションだったが、そもそも地下なので窓とかないし、…

プラス・ワン 建築家 高松伸(198X年)

次の仕事は、高松伸氏の建築物に決まった。安藤忠雄氏がコンクリート打ちっぱなしの建築家なら、高松伸は金属の建築家だった。とにかく金属部品が多い。今は取り壊されて無くなってしまったが、映画「ブラックレイン」にも使われたキリンプラザを設計した建…

プラス・ワン 建築家 安藤忠雄(198X年)

時はバブル期である。ポストモダンの建築物が次々に立てられていた。その中で、安藤忠雄氏は、ひときわカッコいいと評判のコンクリート打ちっぱなしの建築家だった。 次の仕事で、安藤忠雄氏の提案する大阪の中之島公会堂の保存計画案のイメージのアニメーシ…

プラス・ワン アニメーションの中割り:(198X年)

プラス・ワンの建築のデータは、1.0が1.0mという単位でモデリングされていた。これは、アニメーションを計算するのにも都合が良かった。 アニメーションのイーズイン・イーズアウト(ゆっくり動き出してゆっくり止まる)に関しては、キーフレームに時速で指定…

プラス・ワン ビデオレコーディング(198X年)

プラス・ワンにあったお手製の16mmフィルムレコーダのコントローラは、時々コマ撮りを失敗することがあったので、制作部の女性Yさんが1コマ録画する毎に、小型のカウンターを手に持ってチェックしていた。フィルム・レコーディング中は、一晩中張り付いてい…

プラス・ワン Zバッファ・レンダリング続き(198X年)

Zバッファでは原理上、透明体ができないが、HPのグラフィックエンジンでは、スクリーンドア・トランスペアレンシィという方法で透明を実現していた。要するに、透明体のポリゴンのピクセルを1個飛ばしに描画すると、遠目に見れば透明体の様に見えるのであ…

プラス・ワン Zバッファ・レンダリング(198X年)

HPのTurbSRXというグラフィックエンジンは、1秒間に数十万ポリゴンを処理することができた。以前はE&Sのベクター・ディスプレイでワイヤーフレーム1万本がリアルタイムというので驚いたが、HPのグラフィック・エンジンがこんなに速いとは知らなかった。ワー…

プラス・ワン SCOPE(198X年)

3か月かかって、いよいよ制作部に新しいアニメーション・プログラムを使ってもらうことになった。このアニメーションのプログラムは、SCOPEと命名された。 HP-UXには当時ウィンドウ・システムすらなかった。メモリも4MBと少なかったので、フルスクリーンに…

プラス・ワン 澤井健伝説(198X年)

澤井さんは、阪大の学生の頃、大阪市の御堂筋の街並みを下水道をから見た視点でワイヤフレームのCGアニメーションを作った。そもそも下水道のデータベースの研究だったので、3DでCGアニメーションを作る必要はなかった。しかし、CGが珍しかった時代である。…

プラス・ワン 澤井健(198X年)

最初は、大阪大の院生が書いたというプログラムのバグを直していた。しかし、いつまでもバグ直しばかりしていられないので、全く新しく書くことにした。 JCGLでは、オリジナル・ソフトウェアが何もなかったころから初めて、やっと全部揃ったと思ったところで…

プラス・ワン 初出社(198X年)

プラス・ワンの事務所は、山田駅から徒歩10分の3階建ての賃貸ビルの3Fにあった。賃貸ビルと言っても、1階、2階はどうやらオーナーが住んでいるらしかった。10畳ほどの部屋に数名の女性スタッフが、3次元のデータをテンキーで入力していた。 3台位のパソコ…

プラス・ワン 大阪へUターン(198X年)

とりあえず大阪に帰って、実家に泊まってアパートを探した。プラス・ワンは、吹田市の山田というところにあった。しかし周りには何もなく買い物にも不便なので、JR吹田のダイエーの近くにアパートを借りた。そしてまた東京に戻って引っ越しの梱包をした。 大…

JCGL UMEX(198X年)

UMEXというCGの交流会に良く参加していた。まあ飲み会である。お蔭でCG関係の仕事をしている人達と知り合いになれた。 アメリカから帰って来て、久しぶりに参加すると、プラス・ワンの澤井さんを紹介された。澤井さんと直接会ったことはなかったが、JCGLのプ…

JCGL 再びメトロライトへ(198X年)

結局、創業者の社長から、アメリカのアパートに置いて来たパソコンは、再度アメリカに取りに行けということになった。送ってくれれば 良いのに…。アパートに置いて行った家財道具はすべて処分されていて、アパートも既に解約されていた。滞在中に買ったNEC製…

JCGL 突然のJCGL解散(198X年)

メトロライトでの仕事は、週報にしてマンガもつけて、FAXで日本のJCGLに送っていた。皆読んでいると思っていたが、実は当たり障りのない部分とマンガだけが回覧されていた。 JCGLでは一大事が起こっていた。それは講談社の社長の急死だった。ご子息が社長の…

JCGL COMDEX(198X年)

少しはずれのモーテル(モーターホテルの略で安い宿の事。決してラブホではない)にチェックインして、早速カジノに行った。24時間いつでもギャンブルOKなのである。しかもカジノでは、マジックショーとか、サーカスとか、色々なショーもやっていて無料で見…

JCGL ラスベガスのCOMDEXへ(198X年)

ラスベガスでCOMDEXというコンピュータの展示会があるので、行かないかと元ABELのプログラマのスティーブに誘われた。しかも車で行くという。 どれ位版離れているか見当もつかないでいると、車で走って4時間程だという。400kmかあ。面白そうなので行くと言っ…

JCGL カリフォルニアの車(198X年)

リトル・トーキョーにあるアパートの契約など身の回りのお世話をしてくれる会社に事務的な手続きをしに行った。夜、事務所から車で帰る途中、道を間違えてダウンタウンに入ってしまった。 すると、真っ暗な道を道一杯にヘッドライトをつけた車がこっちに向か…

JCGL カリフォルニア州の免許(198X年)

車の免許を取ることにした。日本の運転免許をは持ってなくて、車の運転すらしたことがないので、教習してもらうことにした。 そもそもアメリカに自動車学校というのはない。高校で運転教習の授業があって、そこで運転免許をもらう。だから、免許を持っていな…

JCGL レンダラーの売り込み(198X年)

stdioはC言語の標準入出力ライブラリのことで、C言語では当たり前に使われるソフトウェア・モジュールである。なぜそんなところで落ちるのだろうか。 改めてソースをデバッカで注意深く追っていくと、落ちている場所が分かった。stdioのふりをしているが、何…

JCGL ハリウッドの新会社(198X年)

元C/CPと元ABELの人達の新しいCG制作会社の名前は、まだ決まっていなかった。C/CPから来たジム・クリストフ氏が社長になることになった。 最初、社名はノースライトというにするつもりだった。ノースライトとは、インスピレーションは北(North)からの光(Ligh…

JCGL 新しいオフィスへ(198X年)

新しいオフィスは、窓はハーフミラーのカッコ良いビルディングで、中庭もあった。 元ABELプロダクションのコン・ペダーソン氏(2001年宇宙の旅の特撮に参加)が、3台のエバンス&サザーランドのベクター・ディスプレイPS/2と一緒にやって来た。この古めかしい…

JCGL E2D問題発生(198X年)

プロデューサ役のエンジニアが、突然、元ABELのSEをクビにした。理由は麻薬をやっているからと言っていた。 プロデューサ役のエンジニアは、PCとグラフィック・アクセラレータを組み合わせれば、当時ミニコンでやっていたことはできると言っていた。しかし、…

JCGL 英会話(198X年)

アメリカでの生活は、想像していたより楽しかった。スーパーマーケット、レストラン、ショッピングモール、どこに行っても、見たこともない知らないものばかりで面白かった。 通訳の女性に英会話やアメリカでの生活を教えてもらって、スーパーで買い物したり…

JCGL E2Dスタート(198X年)

E2Dのプロジェクトでは、ABELから来たSEがてきぱきと仕様書を作った。凄いと思った。E2Dのシステムをつくる前に、多少の調査研究が必要だった。 まず中割りをどうするかであった。アニメータが作画した絵と絵の間は自動的にコンピュータが計算しなくてはいけ…

JCGL E2Dのチーム(198X年)

通訳の女性は、私が車の免許を持っていないと言ったので、当面アパートに送り迎えに来ると言った。 2人組のエンジニアは、プロデューサとマネージャ役で、元ABELプロダクションのスタッフから、SEとプログラマを雇った。通訳で来ている女性もエンジニアなの…