1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

JCGL ハリウッドへ(198X年)

自分は、今まで人が嫌がる仕事でも進んでやってきた。それが使命だと思っていたのか、はたまた勘違いしたのか、とうとう手を上げてしまった。 JCGLの会長は喜んだ。そして段取りが一気に進んだ。まだ事務所もちゃんと決まっていなかったらしいが、とりあえず…

JCGL 新たなプロジェクト(198X年)

PIXARの相手に嫌気がさしていた頃、JCGLで別のプロジェクトが秘密裡にスタートしていた。ハリウッド進出である。日本よりアメリカの方が映像製作費は高かったので、何とかアメリカに進出したいという望みがあったらしい。 また当時、CGの世界でセンセーショ…

JCGL PIXARの実力(198X年)

さてどうしたものか。CHAPのプログラムは酷く難しい。ほぼアセンブラである。JCGLのレンダラを移植するなんて無理だった。 実はこの時、PIXARの本質を理解していなかった。後に本で、ルーカスフィルムでPIXARが誕生したいきさつを読んだ。NYITの天才CG集団が…

JCGL PIXARでCHAP講習(198X年)

PIXARへ海外出張した。英語の堪能な制作部のプロデューサのI氏が通訳として同行してくれることになった。ロスアンジェルス国際空港から小型機に乗り換えて、PIXAR社に行った。当時はサンタバーバラにあった。I氏が運転する車は、なぜか道を間違えて軍事施設…

JCGL PIXAR(198X年)

JCGLの入り口に、PIXARコンピュータが鎮座した。またしても突然、珍仕事が舞い込んだ。 PIXARのデモンストレーションは凄かった。空撮のステレオ映像から地形モデルを作ったり、CTスキャンの断面をリアルタイムで動かして見せたり、一瞬の画像処理とか(この…

JCGL 3SPACE(198X年)

3SPACEは、磁力線を使ってペンで空間上の座標を入力する装置である。簡単に空間の座標が拾えるので、3SAPCEにRS232CでPC9801を接続して、デジタイズするプログラムを作った。 当時のモデリングは、図面を描いて、グラフ用紙から座標を数値で読み出していた…

JCGL オリジナルシステムへ(198X年)

JCGLオリジナル・レンダラーの開発も着々と進んでいた。技術部で何人か立候補した人の中からK氏が、ひたすらスキャンライン・レンダラーを書いていた。K氏のスキャンライン・レンダラーは、C/CPのレンダラーよりもさらに透明度がある美しい表現が可能になっ…

JCGL 10メガビット・イーサネット化(198X年)

PS330のアニメーションソフトのテストを手伝ってくれていた制作部のスタッフが、以前からRS232Cでのデータ転送時間が遅いと言って評判が悪かった。 そこでイーサネット・インターフェイスを買う許可が下りた。VAX11/780は2台あったが、実はネットワークはRS2…

JCGL ファンクション・ネットワーク(198X年)

PS330の ファンクション・ネットワークは、回路図みたいなので、プログラムする前にノートに図を描いていた。しかし、だんだん大きくなって描き切れなくなってきた ので、模造紙を買って来てそこに描いて、ホワイトボードにマグネットで止めていた。ファンク…

JCGL 2MBのメモリ(198X年)

PS330には2MBしかユーザーメモリがなかった。浮動小数のデータを大量に送りつけると、メモリが残り少ないよ!というビープ音が鳴った。アニメーションのデータを並べるには、メモリがあまりにも少ない。 CGのオブジェクトデータは、親子関係が表現できるよ…

JCGL PS330(198X年)

PS330には、高級感のある黒くてメタリックなキーボード、ダイヤルボックスや、タブレットにデジタイザもついていた。 PS330は、ファンクション・ネットワークという独特の言語で動いていた。 ファンクションとは、CGの計算をする各種機能を電子ブロックみた…

JCGL 池袋へ引越し(198X年)

SIGGRAPHとIMI社訪問の日程を終えてJCGLに戻ると、引っ越しの準備が最終段階に入っていた。渋谷の南平台から池袋のビルに引っ越すのである。自分の荷物も大急ぎでコンテナに入れて梱包した。 色んな理由があったらしい。社長が変わった。講談社から出向して…

JCGL MovieIMI(198X年)

何も動かなかったのは、ファンクションキーが故障していたらしいことが分かった。ファンクションキーを交換してもらい、リンクエラーとなって不足しているソースコードも探してもらった。 再びコンパイルと編集を繰り返していると、初期画面に続いて、メニュ…

JCGL IMI社へ(198X年)

SIGGRAPHが終わって、DFW(ダラスフォートワース)空港からDC10でLAX(ロスアンゼルス国際空港)に到着。リムジンタクシーに乗ってホテルに向かった。 IMI社はカリフォルニア州のウエストレイクにあった。 IMI社の近くにホテルを予約してもらったので、翌朝、ホ…

JCGL SIGGRAPHのレセプション(198X年)

SIGGRAPHの機器展示もまた、どれ程会場が広いのかと驚愕ものだった。幕張メッセもまだ出来ていなかった時代である。そしてランチ。日本語では、食べ放題をバイキングと言っているが、英語ではバッフェである。これでもか!という位盛って入れてくれる。しか…

JCGL SIGGRAPHへ(198X年)

上司のH氏は、今年の夏のSIGGRAPHに合わせてアメリカに行き、その後IMI社に寄って移植できるかどうかを調査に行くと言った。 初めて海外に行くことになった。成田からB747に乗ってサンフランシスコ空港で、ダラス行きのB727に乗り換えた。B727は壁にベニヤ板…

JCGL IMI500(198X年)

カラーフィルムレコーダーのデバイスドライバの問題も解決して、ほっとしたのも束の間、別の問題が発生した。 突然、IMI社からJCGLに手紙が来た。「IMI500のマザーボードは、当社のエンジニア退職によってメンテナンスできなくなりました。引き続きメンテナ…

JCGL デバイスドライバ成功(198X年)

ある日、C/CPのエンジニアがレンダリング・プログラムのインストールに来日した。 オペレーションルームを見に行ったら、インストールは直ぐに終わったみたいで、VT100を使ってゲームをして遊んでいた。シューティングゲームみたいだったが、VT100を2台使っ…

JCGL デバイスドライバの失敗(198X年)

上司のH氏は、最初から上手く行かなくても仕方がないと行ってくれた。次にフレームバッファのデバイスドライバをテストを見ていた。フレームバッファは、VAXのUNIBUSに接続されていて、指定したアドレスにデータを書き込めば、その通りに出力されるという(Ma…

JCGL デバイスドライバのテスト(198X年)

テスト当日、マシンルームにいるのは、自分と上司のH氏だけになった。 VAX11/780をシャットダウンするため、TTYコンソールから、haltコマンドを入力。文字をタイプする度、打ち込んだコマンドがガシャガシャとプリンタに印刷される。システムが止まったら、…

JCGL デバイスドライバ開発(198X年)

JCGLは企業なので、UNIX4.2BSDのライセンスはバイナリ・ライセンスであった。東工大にはCGの研究室があった。学校なのでアカデミック・ライセンス、つまりUNIXのソースコードを全部見ることができた。東工大の研究室まで出かけて行って、VAX11/750のデバイス…

JCGL システム切替前夜(198X年)

NYITとのライセンスが切れると、システムが一切使えなくなる。ハードそのものは買い取りだったので引き続き使えるらしかったが、ソフトウェア、つまりオペレーティングシステムや、フレームバッファなどの特別なハードのドライバの開発が必要であった。オペ…

JCGL C/CPと業務提携(198X年)

突如、C/CPのシステムに切り替えるという話を聞いた。C/CPは、オハイオ州コロンバスにあるクランストン・スーリー・プロダクションである。C/CPのシステムはライセンス料が安いため、経営陣は一刻も早くNYITから切り替えたかったみたいだった。 C/CPからスタ…

JCGL 制作部の伝説(198X年)

当時、モデリングソフトや、GUIなんてなかった。ポリゴンはグラフ用紙に図を描いて、座標の数値をテンキーで入力していた。アニメーションのモーション・パスですら、緩急をも考慮して、グラグ用紙の座標を読み取って入力していた。 NYITのレンダリング・ア…

JCGL 明け方にVAXを使う(198X年)

魔法に見えたシステムも理解するに従って、色々分かってきた。できないことは、制作部の現場の力で解決しているのである。それこそが魔法であった。 制作部は連日徹夜していた。締切り間際で、レンダリングが押している時には、キーボードを触っただけで怒号…

JCGL 技術部の仕事(198X年)

日々のバックアップ作業に加えて、人が嫌がることでもどんな雑用でも引き受けた。絶対、ここで行われている魔法について知りたいと思った。 自家現像というのもやった。これはDICOMETというフィルムレコーダで、アニメーションのテストレコーディングを白黒…

JCGL MKシステム(198X年)

JCGLは「小鹿物語」で2Dアニメーションのデジタル化からスタートした。セルアニメのデジタル化が進んだのは2000年前後だった。あまりにも時代を先取りし過ぎていた。それより当時は、映画や展示映像、CMなどの3DCGアニメーションが時代に求められていた。 …

JCGLシステム(198X年)

JCGLのシステムは、ペイント、スキャン、レンダリング、アニメーション、フィルムレコーディング、オプチカル・プリンター(フィルム編集)。現代で当たり前のものが1980年当時に全てあった。全く未来を予知でもしたのかと思う。今はその未来が到来して、何で…

JCGLマシンルーム(198X年)

マシンルームは、オペレーションルームの奥にあり、巨大なDECのミニコン、VAX11/780が2台あった。VAXが2台あるのは、1台が故障しても制作が止まらない様にするためだった。PDP11/23もずらりと6台あった。 マシンルーム JCGL会社案内より VAXは、当時1億円し…

JCGLオペレーションルーム(198X年)

コンピュータ・グラフィック・ラボのオペレーション・ルームは、地下(と言っても傾斜地に建っているので半地下)にあり、窓もあったが全部暗幕で覆われていた。 そこには、CGアーティストと言われている人たちが、DECのVT100というキャラクタ・ディスプレイ端…