1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL COMDEX(198X年)

 少しはずれのモーテル(モーターホテルの略で安い宿の事。決してラブホではない)にチェックインして、早速カジノに行った。24時間いつでもギャンブルOKなのである。しかもカジノでは、マジックショーとか、サーカスとか、色々なショーもやっていて無料で見れる。面白いので見ていて飽きない。食事もたいそう安かった。その浮いたお金を皆ギャンブルにつぎ込むのだそうだ。

 ポーカーやブラックジャックとか、ディーラーと駆け引きするゲームはできなさそうだったので、スロットマシーンで遊んでいた。なんと1ドル硬貨のスロットマシーンがある。1ドル硬貨でかい。でも日本円にすると当時130円位か。ガチャガチャやっていると、100枚位に増えてしまった。元手は20ドル位だった。それで止めて、後はブラックジャックとかルーレットを見ていた。

 スティーブは、ブラックジャック100ドルすったらしくて、スロットで勝ったので晩飯おごると言うと妙に感心された。

 翌日から始まったCOMDEXは、ラスベガスの5つものホテルを展示会場に使うという、とんでもなく広い会場で、見て回るのに一日かかった。

 IBM PC/AT全盛期である。どこを見てもPC/AT機とその互換機、そして拡張ボード、特にグラフィック・カードが沢山展示されていた。事務用で8色しか色が表示できないPC/ATに、今まさにグラフィックスの時代が始まろうとしていたのだった。

 かなりの人だかりあるブースに行ってみると、ミニスカの金髪のおねえちゃんが、高い丸椅子に座ってひざを組んで商品の説明していた。パンチラ目的なのか()

 ひとしきり見て、ラスベガスを夕方に出発した。珍しくスコールみたいな雨が降っていた。カリフォルニア州に入る前には、オレンジなどの植物を持ち込んでいないかどうか調べる検疫ゲートがあったが、スティーブは雨が降っているので係員は面倒くさがって出てこないよと言った。その通りだった。