1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL 突然のJCGL解散(198X年)

 メトロライトでの仕事は、週報にしてマンガもつけて、FAXで日本のJCGLに送っていた。皆読んでいると思っていたが、実は当たり障りのない部分とマンガだけが回覧されていた。

 JCGLでは一大事が起こっていた。それは講談社の社長の急死だった。ご子息が社長の座に着くまで、ニューメディア関連の事業に関しては、出資を取りやめるという。つまりJCGLは、活動資金が供給されなくなったので、解散せざるをえなくなったらしい。

 E2Dの仕事も同様だった。JCGLの総務から手紙が届いた。「日本に帰ってきて下さい。3月末に会社を解散するので、解雇します。」と書いてあった。

 青天の霹靂とはこのことである。正直E2Dはあまり上手く進んでいるプロジェクトだとは言えなかった。結果が出るまで何とか頑張りたかったが、機材トラブルや、MUMPSでのプログラミングに慣れていないのもあって、開発は遅れに遅れていた。

 とりあえず、アパートの荷物などもそのままにして、身支度だけして日本に帰った。

会社に行くと、講談社から出向しているJCGLの社長や役員の人達に呼び出されて、連日会議室で根掘り葉掘り、延々と質問責めにあった。

 どうやら、JCGLの会長(創業者)と講談社から出向しているJCGLの社長とでは、明らかに方針が違っていた。正直に報告したことで、JCGLの会長の反感を買ったらしい。誤解だと思ったが、もう手遅れで溝は深いものになっていた。