1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン 澤井さん首の骨を折る(199X年)

 澤井さんは、アメリカのA/E/Cシステムズという展示会を見学するために、フロリダに外遊していた。ついでにフロリダのディズニー・ワールドにもでかけたらしい。帰路、同行していた建築設計事務所の人に車の運転を変わった後、フリーウェイの路肩のくぼみにタイヤを取られて、あろうことか車は横転した。不幸なことに、澤井さんはシートベルトをしていなかった。

 会社に電話が入った。「車の事故で澤井さんが首の骨を折った。」

晴天の霹靂とは、このことである。目の前が真っ暗になった。これでプラス・ワンも終わりか。今は緊急手術を受けて、アメリカの病院に入院しているという。3週間が過ぎた頃、飛行機で帰ってくるという連絡があった。

 伊丹空港まで、社員全員で迎えに行った。タラップから誰も降りてこなくなってもまだ現れない。どうなっているんだろうとヤキモキしていると、飛行機の後方の出口から、スチワーデスさんが車椅子を押しながら出て来た。澤井さんだった。サングラスをしていた。歩けない上に、目が見えないのか。手が震えた。

 車椅子が近くに来た時、「おーい!」と言って、澤井さんが立ち上がって手を振った。

「ええーー????????」(皆一同)

「迎えに来てくれたんやね。」

「だ、大丈夫なんですか?」

「えー、まー、何とかね。」

 首には、ムチウチの人がつける大きなプラスチックのギプスが巻かれ、頭に鉄の輪っかがついていた。その輪っかには鉄の支柱がついていて、肩当てにがっちり固定されていた。自由の女神の王冠みたいな感じである(トゲトゲはないが)。首は絶対に動かしてはいけないのだろう。

 澤井さんは、そのまま自宅に帰ってしばらく療養していた。2週間後、会社に鉄のっかをつけて歩いて出社して来た。流石に徹夜は、しなかった。2か月後に鉄のっかは、はずしてももらえて、首の回りのギプスだけになった。でもなかなか体力が回復しなくて、辛そうだったので、養命酒を勧めた。これが効いたみたいだった。また会社に泊まり込みしだした。

 いったいどれだけタフなんだろう。まだこの世ですることがあるから、きっとあの世から追い返されたに違いないと思った。