1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン 阪神淡路大震災(199X年)

 阪神淡路大震災が起こった日にも、制作部のYさんは泊まり込みで仕事をしていた。朝方の猛烈な揺れで、書庫や本棚は倒れ、ワークステーションの19インチもの巨大なディスプレイが横に吹っ飛び、停電して、全ての機能が停止した。Yさんは机の下に隠れて無事だった。

 Yさんは、地震のせいで納期が遅れると、東京のクライアントに電話したが、信じてもらえなかったそうだ。兵庫大阪で、震度7もの地震があったとニュースで流れて、やっとその凄まじさがわかってもらえた。

 会社に行こうにも、電車はすべて止まっているので、自転車で行った。途中、家は崩れ、ビルの壁は崩れ落ちてたりと、凄まじい光景だった。事務所に着くと、あらゆるものがひっくり返っていた。

 とりあえず、会社まで来れた人達でひたすら片付けをした。来れない人は自宅待機にした。毎日自転車で通って、3日間ぶっ続けで片付けして、ようやく仕事ができる様になった。幸いにも、コンピュータは電源を入れると、元通り動いた。

 それから書庫や書棚の補強もした。今まで積み重ねていただけの書庫は、上下を固定する金具をつけて、書棚も背面に角材を入れて補強した。ディスプレイも飛ばない様に固定した。

 ビルの壁面にも少し亀裂があったが、幸いにも補修で済む程度だった。会社はなんとか復旧できたが、神戸方面から通っている人は、ライフラインも止まって、しばらく辛い状態が続いた。