1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン ゼネコンCG狂乱(199X年)

 バブル全盛時代、ゼネコン各社も建設技術には大きく差がないので、3DCGアニメーションで技術力を競うようになって来た。ゼネコンが、まるでSFの様な、超高層、海底都市、月面や火星の宇宙基地をCGアニメーションで作って見せた。

 当初、ゼネコンは自社開発のCGを競っていたが、やがて、CGプロダクションと同じ設備とスタッフを雇い入れるところまで現れた。自分達のネームバリューを上げるために始めたのだろう。ゼネコンの会社規模からすると。CGプロダクションを1つ作るのは難もない。

自社の建築CGアニメーションに加えて、NHKの番組のCGアニメーションを制作(しかも格安、もしくは無償で)するまでになっていた。やりすぎだろうと思った。

 しかし、ゼネコン社員とCG制作社員(毎晩会社に泊まり込んでCGを制作する人達)とは、水と油ほど違う文化なので、やがてはCG制作に関わっていた人たちも、追い出されていった。

 他にも中小の建築設計事務所でも、パソコンのCGソフトで建築パースを作るところも現れた。もう建築CGは普及期に入っと思った。ハードが速く安くなり、 CGソフトウェアもそう高くない値段で買える様になった。作ろうという意志さえあれば、誰でも作れるようになってきた。