1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン マルチメディアへ(199X年)

 マルチメディアがブームになった。CD-Iという規格や、静止画やアニメーション、音楽を組み合わせたCD-ROM作品が作られ始めた。それはMacの普及ということも連動していた。

 マルチメディアの影響で、レーザーディスクにレーザー・アクティブという機能が追加されて、プラス・ワンでもレーザーアクティブ用の映像素材の依頼を受けて制作したりした。建築とは全く関係のない宇宙船やエイリアンが出てくるものだったが、アニメータのD君が頑張って作った。D君は、まだ20代の若者であったが、アニメーションの センスには光るものがあった。澤井さんから全幅の信頼を得て、プラス・ワンのNo.1アニメータとして活躍していた。

 新しいもの好きの澤井さんは、マルチメディアに直ぐに飛びついた。そして新会社を作ることになった。在阪のCGアーティストたちとミュージシャンをも巻き込んで、バーチャル・イースト・コーポレーションという株式会社が設立された。

 かっこいいネーミングの様であるが、そもそもニュートン・スタジオの代表、東祥高氏(あずま よしたか氏。故人)が代表取締役になった。東さんは、NHKの国宝の旅とかのBGMを作曲していた。ニュートン・スタジオって、東(あずま)さんをトンさんと呼んで、 新しい東さんの会社だから、ニュートン・スタジオというベタベタなネーミングだった。バーチャル・イーストのイーストも東さんのことである。バーチャルと 言ったのも当時の流行り言葉だったからであろう。

 バーチャル・イーストの設立を祝って、小松左京氏(故人)もかけつけて相談役になってくれたのだった。