1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン プレステ初の音ゲー(199X年)

 これ以上お金をかけると、バーチャル・イーストが倒産する。話し合いの結果、澤井さんとM氏は、袂を分かつことになった。M氏は、企画をソニーに持って行き、制作は継続することになった。プラス・ワンの制作部のD君が出向して、アニメーション制作を手伝うことになった。

 M氏の企画は、プレステの初の音ゲーになった。完成したというので、プラス・ワン社内で見せてもらった。制作部の女性スタッフから、かわいいー!という声が上がった。澤井さんの反応は、冷ややかだった。

 それがメガヒットしてしまうのである。逃がした魚は大きかった。プラス・ワンのNo.1アニメータD君のペラペラなポリゴンキャラクタのアニメーションが秀逸だった。さすがD君だった。

 でも、実はペラペラなポリゴンキャラクタのアニメーションのアイディアは、澤井さんがM氏と一緒に制作したマックのCD-ROM作品で編み出した手法であった。

 元祖は澤井さんだったが、D君は自分の中で見事に消化して花を咲かせた。これはD君の才能と努力の賜物であった。