1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン 笹田教授との確執(199X年)

 プラス・ワンの制作したCGアニメーションは、二コグラフで賞を頂いたり、SIGGRAPHのスクリーニングルームに入選したりと飛ぶ鳥を落とす勢いであった(当時)

 仕事場では、毎日誰かが徹夜したり(澤井さんは、徹夜しているというより会社に住んでいた)、土日休みなしの場合もあって仕事は相変わらずヘビーであったが、スタッフは全員、熱心に仕事に取り組んでいた。澤井さんは、誰からも尊敬されていた。

 それを快く思っていないのが、大阪大学環境工学科の笹田教授(故人)であった。プラス・ワンは、元々は笹田研究室から生まれたベンチャー企業であった。

 プラス・ワン設立の目的は、笹田教授が「官の仕事(名誉)」を、それ以外の「民の実()の仕事」をプラス・ワンにさせることにあった。いわゆるトンネル会社であった。

 しかし、大学者の笹田教授は、天才澤井健という学生を甘く見てていた。自分でコントロールできると思っていた。

 笹田教授は、表立って事は起こさなかったが、あれこれと裏で嫌がらせをして来た。プラス・ワンがゼネコンから受注した仕事の支払いを遅らせるようにゼネコンの担当者に口入れしたり、受注の妨害をしたりした。ゼネコンの担当者は、笹田研の優秀な卒業生欲しさに、笹田教授に加担することが多かった。何と大人げない。澤井さんは、経営者として大変な苦労を強いられたのだった。

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(参考)設立当時のプラス・ワンの紹介記事 - 日経CG1987年10月号より