1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL PIXARの実力(198X年)

 さてどうしたものか。CHAPのプログラムは酷く難しい。ほぼアセンブラである。JCGLのレンダラを移植するなんて無理だった。

 実はこの時、PIXARの本質を理解していなかった。後に本で、ルーカスフィルムPIXARが誕生したいきさつを読んだ。NYITの天才CG集団が、ルーカスフィルムに行って作ったハードウェアがPIXARだったのだ。

 PIXARは、そもそもPIXAR IMAGE COMPUTERの略で、オプチカル・プリンターの代わりにデジタルでコンポジットをするために生み出された特殊なハードウェアだった。レンダリングは、おまけだったのだ。

 デジタル・コンポジットが得意中の得意だということが分かっていれば、制作部の役に立っただろうと思うと悔やまれる。

 その効果をまざまざと証明したのが、かつてJCGLで一緒に仕事をしていたM氏だった。

 JCGL解散後、ハイテックラボ・ジャパンに転職したM氏は、驚異の小宇宙「人体」という番組のCGシーンで、PIAXR IMAGE COMPUTERを余すところなく使った見事なデジタル・コンポジットを駆使して、美しく複雑なシーンを作り出していた。それを知った時は、悔しくて恥ずかしいと思った。

 結局、PIXARJCGL会社の入り口に鎮座して、宣伝として使われただけで、制作部には何の役にも立たなかった。