JCGL 池袋へ引越し(198X年)
SIGGRAPHとIMI社訪問の日程を終えてJCGLに戻ると、引っ越しの準備が最終段階に入っていた。渋谷の南平台から池袋のビルに引っ越すのである。自分の荷物も大急ぎでコンテナに入れて梱包した。
色んな理由があったらしい。社長が変わった。講談社から出向して来た人が社長や役員になった。今までの社長は、会長となった。
事務所は、池袋駅前のビルで今までより広くなった。技術部も全員同じフロアーに机が並んだ。渋谷の南平台の時は、何人かの技術部員は近くのマンションの一室で仕事をしていた。制作部の人達にも自分の机ができた。
アメリカから帰って来て、時差ボケで眠い目をこすって報告書を書いた。その結果、IMI500は壊れるまで使うことになり、PS330のアニメーションシステムのソフトウェアを開発することになった。
PS330は、IMI500よりも立派で黒々としたメタルの金属仕上げのディスクプレイ、キーボード、ダイヤルがついていてカッコよかった。しかし、以前いたプログラマが書いた少しばかりのプログラムが残っているだけだった。
そのプログラムは、ワイヤーフレームデータをRS232C経由で、PS330にデータを転送して、画面にワイヤーフレームが表示されたら、ダイルボックスのダイヤルでぐりぐりと回転させるだけのものだった。
その後はプログラムを書く人もいなくなり、放ったらかしになっていた。まずは、PS330のテクニカルマニュアルを英訳することから始めた。
参考 PS300 CS Department Computer Museum Picturesより