1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL レンダラーの売り込み(198X年)

 stdioはC言語の標準入出力ライブラリのことで、C言語では当たり前に使われるソフトウェア・モジュールである。なぜそんなところで落ちるのだろうか。
 改めてソースをデバッカで注意深く追っていくと、落ちている場所が分かった。stdioのふりをしているが、何故かJCGLライブラリの中にあった。そのstdioを取り除いて、ワークステーションのstdioをリンクすると、何事もなかったかの様にレンダリングが正常終了した。
 そのstdioの作者は、上司のH氏であった。stdioなんかわざわざ書かずに、普通にリンクしておけば良かったのだ。後日聞くと、UNIXプログラマならstdio位は書いてみたいだろう、と言われた。ガクッ!
 そして、メトロライトのスタッフにレンダラーのデモをした。ポリゴン・データをもらって、コンバートしてレンダリング時間を計測した。評判はよかったものの、結局、ウェーブ・フロントからわざわざ乗り換えるメリットがないという結論になった。ABELのスタッフは、元々ウェーブ・フロントのレンダラーに慣れているのである。

 JCGLのK氏レンダラーは、その後日本でも評判になり、アメリカのCGプロダクションで使われたりしていたほどである。決して見劣っていたわけではない。
 このレンダラー売り込み作戦のせいで、メトロライトのスタッフと仲良くなれた。いくつか困っている事があるというので、プログラムを書くと、とても喜んでもらえた。

 お昼には、スタッフの車に同乗してランチに行ったりした。まるで映画の世界に来たみたいだった。
 事務所でマンガを描いて見せると、日本で新聞に連載でもしているのか?と聞かれたり(笑)、ある音楽好きのスタッフの家に遊びに行ってシンセを弾かせてもらったりして遊んだ、同じような趣味を持っている人は沢山いた。