1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL MKシステム(198X年)

 JCGLは「小鹿物語」で2Dアニメーションのデジタル化からスタートした。セルアニメのデジタル化が進んだのは2000年前後だった。あまりにも時代を先取りし過ぎていた。それより当時は、映画や展示映像、CMなどの3DCGアニメーションが時代に求められていた。

 当時、CGソフトはどこにも売っていなかった。CGプロダクションは、競ってソフトウェアを独自開発していた。CGの技術も日進月歩で、毎年アメリカで開かれているSIGGRAPHというCGの大会には、常に新しい映像と技術が発表されて盛り上がっていた。

 JCGLは、NYITからハードウェアとソフトウェア一式を購入した。さすがにNYITシステムとは言えなかったのか、MKシステムと呼んでいた。「MK」は当時の社長のイニシャルを取ったものである。

 エンジニアは要らないということだったので、アーティスト主体でスタートした。エンジニアはたった1人しかいなかった。さすが天才集団NYITによっての開発されたシステムは良くできてはいたが、コンピュータ自体をメンテナンスしたり、CG制作に不足しているソフトウェアを作り出す必要があった。

 エンジニアが採用されたのも、CG制作を円滑に進めることに加えて、NYITシステムからオリジナルのシステムへの切り替えをすることにあった。

 毎年毎年、結構なシステム使用料をNYITに払っていたのである。それが重荷になっていた。CG制作をビジネスに乗せるには自社開発のシステムが必要であった。

 

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