プラス・ワン 初出社(198X年)
プラス・ワンの事務所は、山田駅から徒歩10分の3階建ての賃貸ビルの3Fにあった。賃貸ビルと言っても、1階、2階はどうやらオーナーが住んでいるらしかった。10畳ほどの部屋に数名の女性スタッフが、3次元のデータをテンキーで入力していた。
3台位のパソコンラックにデータ入力用のPC9801、ダイキンのグラフィックディスプレイ、HPのグラフィック・ワークステーション、そして部屋の隅っこにベータカム(当時の高性能のプロ用ビデオレコーダ)やMINIVAS(コマ撮りコントローラ)、スキャンコンバータ一式があった。私が入社することになってから購入したらしい。
ソフトウェアは、阪大の頃に澤井氏が書いたPC9801のプログラム、HPのワークステーションには大阪大の院生が書いたプログラムを使っていた。
プラス・ワンには今までエンジニアはいなかった。自分に与えられた役職は、技術部長。もちろん部下などいない(笑)
プラス・ワンのCGの制作方法は、JCGLと随分違っていた。というか、他のどの会社とも違っていた。
一般的にCGアニメーションは、ミニコンやワークステーションと呼ばれるCPUパワーのあるコンピュータで、ソフトウェアでレンダリングして作っていた。しかし、プラス・ワンはワークステーション・タイプのコンピュータを使ってはいるが、レンダリングはグラフィック・エンジンでやっていた。収録には、画面に表示したCGを16mmフィルムカメラと、手作りのコマ撮りコントローラで管面再撮していた。
1秒30万円なんてコストがかかったら、数分から10分ものCGアニメーションは作れないよと澤井さんは言った。グラフィック・エンジンなら、数十万ポリゴンのデータでも、1枚当たり1分位で計算していた。
建築とか都市とかの膨大なデータのCGアニメーションを数分から10分も作る、これもまた驚きであった。