1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL SIGGRAPHへ(198X年)

 上司のH氏は、今年の夏のSIGGRAPHに合わせてアメリカに行き、その後IMI社に寄って移植できるかどうかを調査に行くと言った。

 初めて海外に行くことになった。成田からB747に乗ってサンフランシスコ空港で、ダラス行きのB727に乗り換えた。B727は壁にベニヤ板が張ってある。ダラスフォートワース空港に着陸する時に、少し失敗して大きく機体が揺れた。酸素マスクが一斉に飛び出してびっくり!元軍人のパイロットは操縦が荒いらしい。

 ダラスは大都会である。見たこともないような不思議な巨大ビルが立ち並んでいる。しかも真夏、もの凄い暑さである。SIGGRAPHは学会なのでお金がなく、展示会場が安くなる真夏に借りて、CGの展示会、論文発表、上映会をするのだという。

 SIGGRAPHが開催されているコンベンションセンターに到着して、会場のドアを開けると、勢いよく冷気がゴーと噴き出してくる。

 そこに1週間通い続けた。上司のH氏は、留学経験があると言っていたので、英語もペラペラである。アメリカ人相手でも、ものおじしない。

 自分は中学高校大学と勉強して来たが、英会話は全く通じなかった。英単語の知識はまだあったが、相手のしゃべるのが速くて何を言っているのかも聞き取れなかった。上司のH氏に、そんなことじゃハンバーガーを注文したら「ハァ?!」と言われるよ、とアドバイスされていたが、その通りになった(笑)

 SIGGRAPHの論文発表を聞いていると、英語は分からないものの、研究結果は分かりやすくスライドに図解されていた。そして発表が素晴らしいと、割れんばかりの拍手が会場から沸き起こった。論文発表後の質問の応酬も分からないが、どれもこれもが凄い発表であることが肌で感じ取れた。

 

参考 ダラス Wikimedia COMMONSより