1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン みんな地球人(198X年)

 NHK名古屋から、プラス・ワンを取材したいと申し入れがあった。カメラマンとレポーターの女性が連日来て、皆で撮影に協力した。

 この頃のプラス・ワンはとても楽しかった。朝は10時からのゆっくりスタートだが、夜は終電まで残業か、徹夜するのが当たり前だった。土日も出社して仕事していた。激務だったと言えるだろう。しかし、今まで出来なかったことが出来るようになったり、全員で力を合わせて1つの仕事を完成させることが楽しかった。完成したCGアニメーションを見たクライアントが驚く表情も面白かった。スタッフの誰もが、その楽しさと喜びを共有していた。プラス・ワンのやっていることは、誰も通ったことのない道のはずなんだが、澤井さんには、ちゃんと見えていた様だった。

 自分で書いたソフトウェアで、制作部の生産力が、2倍、3倍、5倍となって行くのを目の当たりにして、やりがいを強く感じていた。以前なら1分のCGアニメーションを作るのに数週間はかかっていたが、一晩あれば出来るようになっていた。

 NHKでみんな地球人が放映されると、かつての上司H氏から電話がかかって来た。土曜日に、子供とテレビを見ていて偶然見たらしくて、頑張っているね、と言ってくれた。嬉しかった。

 プラス・ワンのクライアントのほとんどは、東京の会社だった。週に一度くらいは澤井さんと東京のクライアントとの打ち合わせに参加していた。でも澤井さんはもっと出張していた。いつぞやは澤井さんと一緒に、1週間に3度も東京日帰り出張したこともあったが、流石にこれは疲れた。澤井さんが爆睡するのも分かった。

www.youtube.com