プラス・ワン VPX(199X年)
大阪大の笹田研究室の卒業生は、大手ゼネコンに入社して、CG担当者になっていた。そして在学中と同じ様に阪大のソフトを使って、ゼネコンで建築のCGアニメーションを作っていた。それは初期のプラス・ワン同様の徹夜の連続であった。
笹田研の卒業生は、澤井さんを慕っていたので、プラス・ワンにも良くやって来た。その都度、澤井さんは嬉々としてSCOPEをデモしていた。それを見た卒業生は、そんなに簡単にCGアニメーションが作れるなんて、と皆一様に驚いていた。
ある日、その卒業生からソフトを売ってくれないかと頼まれた。SCOPEという名前が商標にひっかかるというので、Visual Presentation eXtenderという造語を作ってVPXと改名した。画面のデザインとかも多少変更して、パース画面を大きく見やすくした。そして何度も何度も入念にテストを行って、図が豊富なマニュアルをPC98のワープロで書き上げた。
HP社の日本代理店である横河・ヒューレット・パッカード(YHP)の営業協力もあって、ゼネコンにVPXが販売されて行った。笹田研の卒業生は、ゼネコンで阪大のソフトを使うために、HPのグラフィック・ワークステーションを買っていたのである。ハードは元々あった。
その他の建築設計会社にも、YHPの営業のお蔭で、ハードとソフトが売れて行った。
こうして、A/E/Cシステムズという建築業界の総合展示会で、VPXで制作されたアニメーションがゼネコン各社から一斉に発表されることになった。
(参考)当時作ったパンフレット