1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン 爆弾質問(199X年)

 ある年のA/E/Cシステムだった。座談会形式の講演会で、建築業界の大物の先生に混じって、笹田教授も壇上にいた。質問の時間になって、ある中小のゼネコン会社の人が手を上げて質問した。

「笹田先生とこは、たくさん儲けてるんでしょ。どれくらい儲かってますか? いくら位か教えてもらえますか?」

 会場がざわめいた。

「優秀な学生さん、ただで使えるんでしょう?よろしいですな。」という質問が飛び出した。そもそも、それ質問か?

 司会者も唖然となった。

 この質問に対して、笹田教授は烈火のごとく怒った。笹田教授はマイクを固く握りしめて立ち上がって言った。

「仮にも公僕である大学教授に対して、金を儲けているなどと言うとは、全くもってけしからん!」

 丸顔で大きく禿げ上がった頭が、茹で上がったタコそっくりだった。いったい、どういう経緯で、この質問が飛び出したのかは不明である。煙のない所には火は立たない。きっと建築業界の中でも様々な手口が有名だったのだろう。この質問を聞いて、溜飲が下がった思いがした。

 

プラス・ワン 笹田教授の圧力(199X年)

 笹田教授にしたら、教え子が自分を飛び越えて有名になって行くのは、面白くなかったらしい。毎年行われているA/E/Cシステムズという建築業界の総合展示会では、笹田教授や澤井さんの講演もあったので、表立っては何もないが、両者の火花が飛び散っているのは間違いなかった。

 笹田研究室でも年に1本は、優れたCGアニメーション作品を発表していた。澤井さんの様な自由な視点とはいかないものの、新しい技術や表現にもチャレンジしているし、十分に鑑賞できる良い作品だった。

 しかし、VPXで制作された大手ゼネコンのCGアニメーションが一斉に流れるようになったので、より一層、笹田教授をイラつかせている原因になっていった。笹田教授と澤井氏との確執については自分も心を痛めていた。しかし、陰で阪大のソースコードを盗んだとも言われて、自分も腹が立てたことがあった。そんなもん一行たりとも盗むか!澤井さんも、笹田教授親派の人から、謝りに行けだの何だのかんだと、あれこれ筋合いもないことを言われ続けて心労がたまっていた。

 外から見ていて、もう気にしなければ良いのにと思っていたが、澤井さんも何とか笹田教授に参ったと言わしめたいみたいだった。

プラス・ワン 横河・ヒューレット・パッカード(199X年)

 横河・ヒューレット・パッカード(YHP1999年に合弁解消)は、笹田研究室とプラス・ワンが少々きな臭い関係ではあったことを理解していた。

 YHPワークステーションのパンフレットには、建築のCGが多用されていた。表紙には笹田研究室で制作したCG、内側、裏側はプラス・ワンのCGという風に、笹田教授には特別に神経を使っていた。笹田教授と澤井さんが険悪でも、ユーザが増えさえすればワークステーションが売れるので、YHPにとっては漁夫の利であった。

 ある年のA/E/Cシステムズで、YHPブースの中で、VPXのデモをすることになっていた。何とYHPキャンペーンガール(綺麗な人だったけど30)まで手配しれくれた。前日には、台本の読み合わせもして、リハーサルも入念にしていた(台本は自分で書いた)

 A/E/Cシステムズの当日、デモ開始の直前に、展示会場に笹田教授がいるという情報が入った。VPXのデモは急遽中止になった。全くもって残念であった。

 プラス・ワン担当のYHPの営業さんは、笹田研究室の営業も兼任していた。この人が、笹田教授に何かお気に召さない事を言ったらしい。すぐに、遠方のYHPの営業所に配置転換されてしまった。恐ろしい。

 

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プラス・ワン VPX(199X年)

 大阪大の笹田研究室の卒業生は、大手ゼネコンに入社して、CG担当者になっていた。そして在学中と同じ様に阪大のソフトを使って、ゼネコンで建築のCGアニメーションを作っていた。それは初期のプラス・ワン同様の徹夜の連続であった。

 笹田研の卒業生は、澤井さんを慕っていたので、プラス・ワンにも良くやって来た。その都度、澤井さんは嬉々としてSCOPEをデモしていた。それを見た卒業生は、そんなに簡単にCGアニメーションが作れるなんて、と皆一様に驚いていた。

 ある日、その卒業生からソフトを売ってくれないかと頼まれた。SCOPEという名前が商標にひっかかるというので、Visual Presentation eXtenderという造語を作ってVPXと改名した。画面のデザインとかも多少変更して、パース画面を大きく見やすくした。そして何度も何度も入念にテストを行って、図が豊富なマニュアルをPC98ワープロで書き上げた。

 HP社の日本代理店である横河・ヒューレット・パッカード(YHP)の営業協力もあって、ゼネコンにVPXが販売されて行った。笹田研の卒業生は、ゼネコンで阪大のソフトを使うために、HPのグラフィック・ワークステーションを買っていたのである。ハードは元々あった。

 その他の建築設計会社にも、YHPの営業のお蔭で、ハードとソフトが売れて行った。

 こうして、A/E/Cシステムズという建築業界の総合展示会で、VPXで制作されたアニメーションがゼネコン各社から一斉に発表されることになった。

 

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(参考)当時作ったパンフレット

 

プラス・ワン 笹田教授との確執(199X年)

 プラス・ワンの制作したCGアニメーションは、二コグラフで賞を頂いたり、SIGGRAPHのスクリーニングルームに入選したりと飛ぶ鳥を落とす勢いであった(当時)

 仕事場では、毎日誰かが徹夜したり(澤井さんは、徹夜しているというより会社に住んでいた)、土日休みなしの場合もあって仕事は相変わらずヘビーであったが、スタッフは全員、熱心に仕事に取り組んでいた。澤井さんは、誰からも尊敬されていた。

 それを快く思っていないのが、大阪大学環境工学科の笹田教授(故人)であった。プラス・ワンは、元々は笹田研究室から生まれたベンチャー企業であった。

 プラス・ワン設立の目的は、笹田教授が「官の仕事(名誉)」を、それ以外の「民の実()の仕事」をプラス・ワンにさせることにあった。いわゆるトンネル会社であった。

 しかし、大学者の笹田教授は、天才澤井健という学生を甘く見てていた。自分でコントロールできると思っていた。

 笹田教授は、表立って事は起こさなかったが、あれこれと裏で嫌がらせをして来た。プラス・ワンがゼネコンから受注した仕事の支払いを遅らせるようにゼネコンの担当者に口入れしたり、受注の妨害をしたりした。ゼネコンの担当者は、笹田研の優秀な卒業生欲しさに、笹田教授に加担することが多かった。何と大人げない。澤井さんは、経営者として大変な苦労を強いられたのだった。

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(参考)設立当時のプラス・ワンの紹介記事 - 日経CG1987年10月号より

プラス・ワン 拡大アンチエリアシング(199X年)

 あおりアンチエリアシング、いや拡大アンチエリアシングというべきか。通常サブピクセルレベルで行うアンチエリアシングを、グラフィック・エンジンで巨大画面をレンダリングして作り出す逆転の発想だった。拡大アンチエリアシングでは、横4倍、縦4倍の大きさの画像を縮小すると一番きれいに見えた。画面の横2倍、縦2倍の合計4枚程度でも、そこそこアンチエリアスの効いた画像になった。

 色々試した結果、横4倍、縦2倍、合計8枚がアニメーションには充分だった。ソフトウェアレンダラでも、1ピクセルより小さいサブピクセルレベルでアンチエリアスの計算を行う。この時、使われるフィルタは4X2だった。人間の目には垂直方向よりも水平方向の解像度が高いためである。

 この時にPA-RISCのパワーが役立った。画素平均には数秒しかかからなかったのだった。当時C言語のプログラムでポインタでかちがちで書いてあった。しかし、68040で同じ計算をさせたところ1分以上かかっていた。PA-RISCのお蔭で、実用的な計算時間に収まっていた。

 ついにZバッファのジャギーの問題も解決した!これは飛び上がるほど嬉しかった。

 ただ制作部にとっては、枚数が増えればそれだけレコーディングに時間がかかって、時間が押してしまうので、特にアンチエリアスが気になるシーンでのみ使われていた。そこがちょっと残念であった。さらに、拡大アンチエリアシングを使えば、解像度も自在に大きくできるので、10000ドットを越えるアンチエリアシングのかかった画像も作れた。これは、CGアニメーションだけでなく、チラシやポスターに使えるので仕事の幅が広だった。

プラス・ワン CGであおり(199X年)

 あおりカメラと同様に、CGでも視軸をずらす、つまり透視変換行列を平行移動してやれば良いのではと考えた。実際に透視変換行列をStarbaseのライブラリを使って取り出して、平行移動してみたら、あっさりとあおり写真ができてしまった。

 いやちょっと、まてよ。普通CGの画面は、視軸の中心が画面の中心である。あおり写真でやったみたいに下側に平行移動すると、上側部分のCGが画面の中央に表示される。同じ方法で、別の外側の位置のCGも作れるのではないか?そしてその画像をつなぎ合わせれば巨大なCG画像にすることができるのでは?と思った。

 早速プログラムを書いて、試してみると、ぴったりつながった。つなぎ目は見えなかった。上下左右、斜め右上、左上、右下、左下、合計9枚の画像を計算して、プログラムで一枚につなぎ合わせると、巨大なCG画像になった。

 いやいやいや、巨大なCG画像ができるということは、これを1枚に画素平均を取って、縮小してやれば、アンチエリアスをかけることができる筈。

 次に、元の画像と複数枚の画面の外側の画像と、画角が同じになるように調整して(つまり1枚当たりの画角は枚数分の1の大きさになる)、透視変換行列を平行移動して複数の画像をつなぎ合わせると、元々の画像と同じ絵で、拡大した画面を作り出すことに成功した。

 巨大なCG画像を画素平均して元々の大きさの画像に戻すと、見事にアンチエリアシングのかかった画面になった!