1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL ハリウッドへ(198X年)

 自分は、今まで人が嫌がる仕事でも進んでやってきた。それが使命だと思っていたのか、はたまた勘違いしたのか、とうとう手を上げてしまった。

 JCGLの会長は喜んだ。そして段取りが一気に進んだ。まだ事務所もちゃんと決まっていなかったらしいが、とりあえずハリウッド近くのビルに事務所を借りて、2人組のエンジニアを雇った。最初はプロジェクトに名前がなかったが、後にE2D(Electric2D)と命名された。

 「6か月は滞在してもらうぞ。」とJCGLの会長に念を押された。あわてて英会話を習いに行くことにした。

 「何か問題を起こすと、後で人を送れなくなるので、夜は絶対に出歩くな。」とも釘を刺された。もちろん、アメリカでは銃社会である。治安が悪いアメリカの夜の街に繰り出す勇気なんてない。

 そしてロスアンジェルス国際空港に到着。アメリカ人と結婚している日本人の女性が通訳として車で迎えに来た。

 住むのは、ハリウッドから少し離れたところにあるアパートであった。その理由は、白人の老人が多く住んでいる町らしくて、比較的安全ということらしかった。

 アパートと言っても2ベットルームもある広さである。つまり、ベットルーム、バスルームが2人分、それとリビング、ダイニングがあるという日本でいうところのマンション風の建物であった。将来もう一人、スタッフを送る予定だったのだろう。

 ちなみに、アメリカでは、マンションという言い方はしなかった。アパートの上は、コンドミニアムである。コンドミニアムは、金持ちの分譲式の集合住宅で、地下の駐車場は、ベンツやBMWみたいな高級車ばかりである。コンドミニアムの室内は、アパートとはレベルの違う高級さだった。絨毯なんて5cmもの深さがある。