1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

JCGL UMEX(198X年)

 UMEXというCGの交流会に良く参加していた。まあ飲み会である。お蔭でCG関係の仕事をしている人達と知り合いになれた。

 アメリカから帰って来て、久しぶりに参加すると、プラス・ワンの澤井さんを紹介された。澤井さんと直接会ったことはなかったが、JCGLのプロジェクトにも関わっいていたらしい。大阪大の大学院の在学中にベンチャー企業の社長となり、建築のCGアニメーションを作っているということであった。

 澤井さんの大阪弁を聞いて、久々に心が弾んだ。自分もまた大阪弁丸出しになってしゃべっていた。

「大阪で1000円ぽっきりの店ちゅーうんは、1000円しか持ってへんかったら、腕がぽっきりなんやで。」とか、面白い冗談が次から次に出てきて腹をかかえて笑った。そして澤井さんから「プラス・ワンにけえへん?」と言われた。

 澤井さんが東京に出張して来た時には、必ず呼び出されて飲みに誘われた。その都度、熱心にお願いされた。 

 ある晩、突然アパートに泊めてくれと電話がかかって来た。疲れているのか、数分もしない内に、いびきをかき始めて寝た。いびきがうるさくて眠れなかった。

 これは三顧の礼というやつか?

 澤井さんの熱意に応えて、プラス・ワンに行くことにした。それに久しぶりに大阪に帰ってみたくなった。もう大阪を出て6年近くも東京で独り暮らしをしていた。

 そして、内定をもらっていたソフトウェア会社に謝りに行った。社長は「きちんと謝りに来るなんて偉いね。」と褒めてくれた。すいません。このソフトウェア会社は、後にPC98用の画期的なフレームバッファを販売して大ブームを引き起こすのだった。その時は知る由もなかった。