1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン 大阪へUターン(198X年)

 とりあえず大阪に帰って、実家に泊まってアパートを探した。プラス・ワンは、吹田市の山田というところにあった。しかし周りには何もなく買い物にも不便なので、JR吹田のダイエーの近くにアパートを借りた。そしてまた東京に戻って引っ越しの梱包をした。

 大阪への引っ越し当日、午後2時に来ると言っていた引っ越し屋は遅れに遅れ、夜8時に来た。部屋は段ボールがうず高く積み上げられていた。この数年間に東京で買い物した本やシンセなどの機材が結構な量になっていた。やっと引っ越し屋が来て運び出し終わったのは、夜10時を過ぎていた。

 何もなくなったアパートは、がらーんとしていた。布団も何もない。友達の家に泊めてもらおうかとも考えたが、散らかりまくっているのを思い出して、やっぱり大阪に帰ることにした。新幹線は終わってしまったし、ドリーム号もちょっと間に合わない。岐阜大垣行き各駅停車、いわゆる人民列車に乗って帰った。

 実家に帰って、荷物が届くまで、実家からプラス・ワンに通うことにした。阪急山田の駅を降りると、360度見渡せる空がとても広いと感じた。東京では林立するビルディングの街で生活していたので、空が広いと感じたなんて久しぶりのことであった。

 プラス・ワンの社名の由来について澤井さんに聞いたら、ゼネコンとか建築設計事務所と一緒に仕事をするので、もうひとつを足す意味で「プラス・ワン」にしたとか。でも似た様な会社の名前が多くて、間違い電話もかかって来た。