1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン PA-RISC(199X年)

 プラス・ワンは、阪急山田から江坂に引っ越した。人数や機材が増えて事務所が手狭になったので、広いオフィスを探していた。でも、ベンチャーに貸してくれるところは中々見つからなかった。何度も不動産屋を訪ね、やっと江坂に新しくて広いオフィスを借りることができた。引っ越した時は広すぎて、事務所は半分位しか使っていなかった。澤井さんはそこで寝泊まりしていた。

 その頃、HP9000シリーズのCPUが、68040からPA-RISCというCPUに変わった。当時CISCRISCというCPU戦争が勃発していて、最初に口火を切ったのはSUNSPARCだった。その後もRISCプロセッサが続々登場して、ワークステーションの黄金時代が続いた。PA-RISCは、後発ながらクロックは低かったが、とても速かった。TurboVRXも、68040CPUを採用していたシリーズ400に接続されれていたが、PA-RISCを採用したシリーズ700に接続されて、さらにパフォーマンスが上がった。

 ある日、PA-RISCのマシンの空冷ファンが不調で回らなくなってしまった。修理が来るまで、扇風機を当てて、なんとか制作の仕事が止まらない様にその場をしのいでいた。

 深夜に仕事する澤井さんにも、扇風機を止めない様に伝えて、もしマシンを使わないのなら、シャットダウンしておくように言っておいた。しかし、扇風機は何故か止まっていて、マシンはつけっぱなしになっていた。

 翌朝、出社すると、マシンは無反応になっていた。PA-RISCCPUを焼いちゃったのである() メンテナンス代を払っていたので無償修理してもらえたが…。