1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

プラス・ワン 澤井健伝説(198X年)

 澤井さんは、阪大の学生の頃、大阪市の御堂筋の街並みを下水道をから見た視点でワイヤフレームのCGアニメーションを作った。そもそも下水道のデータベースの研究だったので、3DでCGアニメーションを作る必要はなかった。しかし、CGが珍しかった時代である。これが評判になった。大阪の朝日放送が天気予報のバックに流していた。

 澤井さんが、3DでCGアニメーションを一番最初に作った話も伝説になっている。建築物の図面を描いて、座標を拾ってPC8801にデータを入力した。次にベーシックのプログラムを書いて、平行投影でワイヤーフレームを表示した。普通の人だったら、ここまでだろう。澤井さんはもう一歩どころか何百歩も凄かった。

 アニメーションを作って動かして見た。しかし、表示に時間がかかるため、動画で見ることはできない。そこで、16mmフィルムのカメラをコンピュータの管面に向けて三脚で固定して、段ボールの内側を黒く塗り、その段ボールをカメラとモニタにかぶせた。

 PC8801が数十秒かかって1フレーム描画し終わると、手でシャッターを切ってコマ撮りをして行ったのである。

 昼夜問わず何日もかかって人間コマ撮りをした。完成したアニメーションは、直ぐに評判になり、大阪大学環境工学科の笹田研究室で建築CGを作ることが研究の目的になったほどだった。

 澤井さんには、他にも伝説はいっぱいあったらしい。茨木高校の時代には、校舎の壁を走る奴がいるとかで評判になったり、愛車のアルファロメオ(元は笹田教授所有だったらしい)のピストンリング焼いたとか、ガソリンスタンドでアルファロメオにハイオクを注文したのに、普通のガソリン入れられたので、全部抜いてハイオクに入れかえさせたとか、かなりやんちゃな奴だった(笑)