1980年からプログラマしています

どうしてプログラマすることになったか書いています。過去日記です。

就職して上京(198X年)

 東京に出てきて、大都会に来たと思っていたら、会社は府中市にある工場だった。採用試験は田町の事務所だったので、てっきりその付近だと勝手に思い込んでいた。

 驚いたことに、最初は6か月は社員教育。当時の大企業は、大学生、高校性を大量採用して、社員教育後、適材適所に配置するということをしていた。しかし、工場から一歩も出られず(出ても何もないけど)、憧れていた都会暮らしとは程遠かった。

 社員教育が終わって現場に配置されると、ソフトウェア希望と伝えていたにも関わらず、ハードウェア設計課に入れられてしまった。しかも、朝8時から夜22時までヘビーな残業生活。朝起きて仕事して帰って風呂入って寝るだけの生活になった。

 しかし、さすが大東京。土日になると、映画やアニメのオールナイト上映会とか、コンサートとかも色々あって、音楽しよう、マンガ描こうという同人もいくらでもいた。

 コンピュータ雑誌で見て、神田神保町にあるピクセル編集部というところにも見学に行った。ここ数年、レンズマンやゴルゴ13など、3DCGを使った映画が上映されていて、凄いと思っていた。